動物病院とは関係ない佃島のお話

2017年10月6日

10月に入り気温が低くなってきたことを朝夕に体感する時期になってきましたね。

小野寺動物病院院長の小野寺です、こんばんは。

エアコンの設定温度をいじっていなかったらいつの間にか診察室で寒くて震えている自分がいました(汗)

 

今日はなんとなく自分の住む佃島(佃)について書いてみようと思います。

自分の知る限りのことなので間違っていることなどがあれば教えて下さい。よろしくお願いします。

 

佃島(佃)はもともと東京湾に浮かぶちょっとした島でした。元々亀島等々と呼ばれていた島を徳川家光から石川八左衛門重次が拝領し、まず石川島と呼ばれる地になりました。

大阪にある佃村、すなわち佃の名前との関連は徳川家康です。

本能寺の変の時、大阪にいて逃げ道のなかった家康にまさに「渡りに船」を提供し助けたのが大阪佃村の住人。

おそらくこの際の感謝と恩賞として特別な漁業権を与えるとともに江戸に呼んだのが佃島の始まりとされています。

佃村の人々は石川島の一部に定住し、「田」の字に土地を分けると共にその地を佃島と名付けたそうです。

「佃」という文字は元々「人が耕す田んぼ」という意味で江戸時代には領主の直領地・直営地の意味を持っていたそうです。

昔に佃を調べた際には「直営漁業地」だったのかなぁと思っていましたが、地名として佃がある後に名づけられたので、関連は薄い可能性のほうが高そうです。

 

その後100年位経って、鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵により佃島には人足寄場が出来ました。

人足寄場とは流入が増加する江戸人口においての職業訓練所であり、軽犯罪者の更生施設であり、療養所でもあったそうです。

石川島播磨重工業(IHI)も、僕が犬に噛まれて骨を折った時にお世話になった石川島記念病院もそうした背景で生まれたのかもしれません。

(本当に「かも知れません」ですよ?)

 

佃島が佃となったのは明治期に行政住所指定の折、佃に統一されたそうです。

 

明治期中期から始まった「東京湾澪浚(みおさらい)計画」に基づき東京湾を深くするとともに土地を広げようとあいなり、現月島から勝どき、豊洲、お台場までどんどん広がっていったようです。

ちなみに月島は元々「築島」と言われていた所に名月を見やすい「月の岬」が関連付けられて月島となったとのこと。風流ですねぇ。

 

佃で有名なのが「佃煮」、月島で有名なのが「もんじゃ焼き」です。

佃煮は江戸時代にも白米を好む人々に愛されていたそうで、更に参勤交代で江戸に来た諸大名により全国各地に広まったとか。

もんじゃ焼きも僕は好きです。

ビールのつまみとして熱々バリバリのを食べるのも好きですし、くつくついっているのを鉄板からヘラでいただくのも好きです。

難点はお腹が膨れても3時間位でまた腹が減ることでしょうか。消化が良すぎます(笑)

30年経てば立派な名物です。

 

・・・ということで、なんとなく生まれ育った佃について書いてみました。

自分の今までの知識やwikipediaの情報の寄せ集めですので細々間違っていても責任は取れませんので悪しからず…

 

と、書いた所で以前大阪に行った際に氏神様である住吉大社に行ったことを思い出しました。

住吉様は住吉三神という底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀った神社の総称で航海守護・禊・和歌の神様方であるとのこと。

(航海守護が底筒男命のご利益、という意味ではありません。念のため)。

神仏習合では薬師如来(底筒男命)、阿弥陀如来(中筒男命)、大日如来(表筒男命)とされたとのことで、なんともご利益が多そうな神社となったとのことです。

 

僕自身は仏像が好きなので書き始めるとキリがありませんので概略を書いたここで終わりますね。

次回は歯石と歯茎の健康について書きたいと思います。

 

※僕自身は特定の宗派には属していません、更に念のため。

 

小野寺動物病院 小野寺史也